日曜ドラマ[砂の器]のことなのですが、もう、放送してから日にちが経ったので書いちゃうけど…まだビデオを撮ったままで観てないとかっていう方、また、原作版[砂の器]をこれから読もう!と思っている方には、重要な部分のネタバレがあるので、この先の閲覧をご遠慮下さい。

ワタシには週末のチャンネル権がないので(休日ぐらい夫を優先させてあげたいでしょう・苦笑)、和賀を誰がやっているかとかどうとかを抜きにして、観たいと思いつつなかなか見れなかったのですが…
なんとか、初回と他回を飛び飛びにですが、ビデオ撮って観たりしてます。
その原作ですが、大昔、多分小学生〜中学生ぐらいの時に、家にあった[日本沈没]と共に[砂の器]を読んだのですが、両方とも子供ながらにちょっとした衝撃を受けたのを覚えています。
内容に衝撃を受けたのもそうだけれど、作中に出てくる言葉で、ある分からない言葉(病気の名前)を母親に聞いたら、意味を教えてはくれたけれど「その言葉は外ではあんまり言っちゃだめよ」と言われたのをよく覚えています。
その時に、外で言ってはいけない言葉=禁句のようなもの、そういう言葉には、悪い意味があったり、不用意に・無用に人を傷つける言葉だということを説明されたのでした。

そういうわけで、当初、今回のドラマ化を聞いて、原作とはやっぱり違うんだろうなぁとは思ってはいたんだけど、ほんとに違いましたわ。
原作と違うのが、いいとか悪いとかじゃなしに、視点とかも違って、ちょっとした驚きと新鮮さを感じました。
でも、中居君(ワタシと同世代)を主役に、現代が舞台では、あの親子の凄絶な放浪は、ちゃんと受け入れられるのかな…いくらドラマとはいえ、現実的に70年代末〜80年代初頭の日本に、あの放浪はありえないでしょ?って感じがしちゃうのではないかしら?とか、そりゃあ、時代を現代にしているせいもあるんでしょうが、あの病気をドラマに持ち出すのは絶対無理だろうし、なによりあの病気によってひどい目にあっていた人々に、二次受傷になるだろうし、どういう設定にするの?と思っていたので…ちょっと心配でした。

で、この前の放送分を観て、ふ〜ん、そういう風にしたんだ…と、なんとなく想像はしていたけれど、本当にこういう設定にしたのか!と思ってしまいました。
ドラマの中での台詞「殺人犯の子はまた殺人犯」って、設定では本当にそうだからしょうがないのかもしれませんが、犯罪者の係累は皆、その重荷を背負わなくてはいけないような風潮の日本を、とても恐ろしく感じてしまいました。
でも、そういう風に思う気持ちも、自分の中に、絶対にあるんですよね。
どうして自分はこんな風に思ってしまうんだろう、諸外国では、誰かがやったことは本人の責任という風な感じで受け止められ、これほどではないと聞きますが、本当のところはどうなのでしょう?
なんだか、ドラマを観終わった後に、ドラマは素晴らしいのだけれど、でもこの重荷はどう扱っていけばよいのかと、しみじみと考えさせられました。

大量殺人といって頭に浮かぶのは、あまりにも有名な津山30人殺し…これを題材とした作品には、ワタシが読んだだけでも[八ツ墓村](プロローグのみ):横溝正史、[龍臥亭事件]:島田荘司、[負の暗示](コミック):山岸凉子、[夜啼きの森]:岩井志麻子(方言がつらくて、途中で読むの放棄して、中を飛ばした)、など、たくさんの作品があります。
恩田陸作品でもこれをモチーフにした部分があるものがあるのですが(作品の重要な部分なので、タイトル等は伏せますが)、やっぱりこういうことは、根深いし、理性で解決できる問題ではないし、なんだかやりきれない気持ちになってしまいました。
人間て、本当に業の深い生き物だなぁ…というのが、今日感じたことの結論?なのでした。

津山30人殺しをご存知でない方は、こちらのサイトをご参照下さい
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/tuyama.htm

コメント