読み終わった児童書をうまく本棚に収めようとして、ちょっと整頓した時に、ふと昔のことを思い出した。
 その昔…長い間一人っ子状態だったのに、5才、7才と離れた妹弟が生まれて、母親がそっちの面倒を見るのにてんてこ舞いだった頃、ワタシは児童書に遊んでもらっていたような生活を送っていた。
 本を自分で読むために、幼稚園の年少の時から字の読み書きをして本を読み、絵本で言えば、【もちもちの木】や【おしいれのぼうけん】、【いやいやえん】を本気で信じ、暗いところを怖がるようになったり、それらの根底に流れる「おねえちゃんになるんだから(下に兄弟が生まれる)いいこになろうね」的なものに、反発を感じていたのを、今でも覚えている。
 …たしか、そんな頃に「ちいさいモモちゃんシリーズ」を読んだ記憶があった。
でも、盛り込まれていたエピソードやストーリーらしいものは、ほとんど覚えていない。
学校の図書室で借りて読み、「すごく面白い、自分にこの本を買って欲しい」と、ねだったことぐらいで…
ただ一カ所、「モモちゃんのママのところに死神が来て、パパの姿が見えなくなり、パパは靴しか帰ってこなくなったので、森のおばあさん(魔女か?)に相談に行く」というくだりだけを、何となく覚えているのだ。
で、森のおばあさんに相談に行くと「ママの木と、パパの木が一緒に植わっている鉢を見せて、その木たちが枯れかけていたのを別々にすると、枯れかけていたのにママの木はぐんぐん根を張って成長して、パパの木は肩に金のやどり木を乗せて歩いて行った」とかいう感じだったような…
 当時、小学校に上がったくらいだと思うけれど、「パパの木はどこに歩いて行っちゃったんだろう」と不思議に思ったのと、どういう意味だったのかは分からないけれど、自分のお父さんの木が歩いて行っちゃったら寂しくてイヤだな…とか、なんというか、暗い森を彷徨い歩くような、怖い記憶が残っていた。
 本棚にぎゅうぎゅう本を詰めながら、「たしかママとパパは離婚したとかそういうことだったはずだけれど、死神とか靴だけが帰ってくるとかは、どんな意味だったんだろう」と、ものすごく気になって来て、ちいさいモモちゃんシリーズを読みたくなった。
 青い鳥文庫とかそういうのだったんだろうなぁと思い、amazonで【松谷みよ子 ちいさいモモちゃん】という感じに入れて検索して出て来たものの内のひとつが、この【小説・捨てていく話】だった。
その本についてのレビューを読んで、ショックを受けた。
…あのちいさいモモちゃんやアカネちゃんの話は、松谷みよ子さんの実生活を下敷きにした、娘さんたちへの語り聞かせのような話だったのだ。
つまり、松谷みよ子さんが離婚というものを説明するために書いたくだりがあの部分だった訳だ。
死神や靴がどういう意味だったのか、どうしても気になって、結局この本を購入してみたのだけれど、とんでもない話が書かれていてショックを受けた。
しかも、ワタシが知っていた【モモちゃんとアカネちゃん】以降も、後3冊出版されていて、全6冊だったというし…
 あの当時、もっとちゃんと親や先生に「この部分はどういう意味なの?」と聞けていたらまた、全然違ったことを考えたりしたんだろうな。
今ではそういう家庭環境はよくあることだけれど、当時は何かタブーのようなものを子供心に感じていて、聞けなかったのかもしれない。
この本を読んで、本当に色々な意味でショックを受けた。
「ちいさいモモちゃんシリーズ」を読んだことがある人、また、読んだことがなくてもお子さんがいる人には、是非読んでみるといいとお薦めしたい本だった。
あ、でも現在進行形でお子さん連れで離婚を考えている人や、行き詰まっている人には、重たすぎるだろうな…。
 読み終わった時に、子連れ離婚をした友人2人の顔が思い浮かんだ。
自分の中のヘドロのようなものに、ずっと向き合って来ただろう彼女らのことを思うと、非常に胸が痛んだ。
完全には想いを理解することが出来なくても、友人として彼女らのことを愛おしく思ってきたが、ますます大事に思いやりたいと思うのだった。

【小説・捨てていく話】
ISBN:4480803149 単行本 松谷 みよ子 筑摩書房 1992/11 ¥1,680

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